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夫が私の気持ちが解らないのは「帰国子女だから」なのか?【駐在妻がダークサイドに堕ちた話 #0】

 

駐在妻がダークサイドに堕ちた話#0

夫に感じた違和感は、後の海外赴任中に夫婦破綻へとつながりました

【駐在妻がダークサイドに堕ちた話 Episode0】

 

「海外駐在員の妻」という、異国の地で優雅な生活を送っていると思われがちな存在が、なぜ、海外暮らしで離婚を考えるようになったのか。

 

現役アメリカ駐在妻が、海外赴任から夫婦の破綻までのリアルを語る【駐在妻がダークサイドに堕ちた話】

 

アメリカ駐在に帯同した妻が、慣れない海外生活で夫の本性を知り、どのようにして闇へ堕ちていったかを綴ります。

 

これから海外赴任や駐在をするご夫婦が、海外での生活で関係が破綻したり、離婚につながらないよう、このエピソードが反面教師となるのはもちろん、勇気や希望にもなれれば幸いです。

 

 

 

帰国子女と結婚したら「海外暮らし」の夢が叶う?

 

私が企業駐在員として働く夫に帯同してアメリカに来たのは2018年。現在はボストン郊外で、小6の娘と暮らしています。

 

夫は小学4年生までをカリフォルニアで過ごした帰国子女。ボストンにある理系No.1と言われる某工科大学を卒業し、日本で就職した後に、私と出会いました。

 

当然、英語はネイティブレベルで、アメリカ育ちらしく寛容な性格。生まれてから海外生活なんて一度もしたことがない「純ジャパ」の私とはまったく違う世界で生きてきた彼に惹かれていきました。

 

すべてがレディーファーストで、今まで付き合ったことがないタイプ。海外旅行をすれば、言いたいことはすべて英語にしてくれる彼。

 

恋人との海外旅行では、言葉が通じずにケンカになったり、買いたいものも食べたいものも注文できずイライラすることもありましたが、夫といれば、そんなストレスとは無縁でした。

 

頼り甲斐があり、当時から外資系の企業でバリバリに働いていたので、「こんな人と結婚したら、将来は海外暮らしも夢じゃないかも」と、学生時代から海外に出るチャンスがあまりなかった私には、とても魅力的な人に映りました。

 

自分の努力なしに、憧れの海外生活を手に入れられるかもしれない。決してそれだけが理由ではありませんが、そんな他力本願な「動機」も背中を押し、彼と結婚したのです。

 

 

空気が読めないのは帰国子女だからなのか

 

彼は「他人の言葉を“額面どおり”に受け取ってしまう人」でした。

 

しかしそれは、何でもストレートに気持ちを伝え合うアメリカ育ちの帰国子女だからだと、その当時は思っていました。

 

他人の前で「うちのダンナ、ほんっと使えなくて〜」なんて言おうものなら、二人きりになった途端にものすごい剣幕で怒り出します。

 

「どうして人前で、オレのことを褒めてくれないのか?」と。

 

「家事もやってくれるいいダンナさんだと他人は言ってくれるのに、なぜオレのことを蔑むような発言をするのか?」

 

他人がいくらそんなことを言ったって、お世辞でしかないでしょう。それに典型的な純ジャパの私は、他人の前で夫を褒めるなんて気持ち悪くてできません。むしろ夫をディスる方が、仲の良さのアピールだと感じていました。

 

「日本人は他人の前で、自分の身内をそんなに褒めるもんじゃないでしょ」

 

そう切り返しても、ため息をついてしばらく不機嫌でいる夫。

 

この時は、夫は「親子や夫婦がお互いを恥じらいもなく褒め合うアメリカンカルチャー」で育ったからだと思っていました。

 

まだ、後に夫婦破綻の原因にもなる「5歳児並みに強すぎる承認欲求」と「病的なくらい空気が読めないこと」には気づいていなかったのです。

 

妻が救急搬送されても海外出張から帰ってこない

 

私が長女を妊娠中、夫は頻繁にアメリカ本社へ出張ででかけていました。1年のうち2ヶ月間は戦略会議のために長期でアメリカへ行ってしまうのは、私が妊娠中であっても出産後も変わりませんでした。

 

しかし、それはあくまでも仕事だから、海外と仕事をするのが彼の希望でもあり、やり甲斐でもあると納得していました。

 

妊娠5ヶ月に入ったある日、夫はいつものように米国へ長期出張にでかけていましたが、安定期に入った安心感もあり、私はかつて勤めていた会社の先輩と夜、食事にでかけました。

 

お店を出ようと立ち上がったときに、腹部に鈍痛が走り、「ちょっと待っててもらえます? トイレ行って来ます」と言い、慌ててトイレに駆け込みました。

 

「お昼に食べたもの、何か傷んでいたのかな」

 

そんな考えが頭をよぎったのもつかの間、腹痛が激しさを増すと同時に、どんどん意識が遠のいていきます。

 

「とりあえず、個室をでなくちゃ」

 

トイレでどう身支度を整えたのかを覚えていないくらい朦朧とした中で、さっきまでいた場所におぼつかない足取りで戻ると、先輩が目を丸くしてこちらを見ています。

 

「どうしたの!ちょっ、お腹、大丈夫??」

 

ただ事ではない空気を察した店員さんたちが駆け寄ってきました。

 

「この人、妊娠しているんです!救急車を!」

 

そう先輩が叫んだのを最後に、私の意識は完全に遠のき、次に目を開けたのは、赤く光る「NICU」の掲示板をくぐるストレッチャーに乗せられていると気づいたときでした。

 

「赤ちゃん、ダメかもしれないのか」

 

戻りつつある意識のなかで、最初に考えたのがそれでした。

 

妊娠5ヶ月で分娩台に座らされ、プロープを挿入されます。

 

「赤ちゃん動いてます、元気ですよー」

 

というNICUの救急担当の女医さんの声が聞こえました。

 

妊婦さんだっていうから、最初にここに運んだんだけどね、と言う看護師さんの声も聞こえました。

 

ホッとするのと同時に「じゃ、この腹痛はなに?」という疑問が頭をよぎります。

 

「血液検査しよう!こっち来れるかな?」

 

まだまだ朦朧とする意識の中、採血を行った結果「急性膵炎」とわかり、妊娠していることもありその日は一泊だけ入院することになりました。

 

一緒に救急車に乗ってくれた先輩は

 

「とにかく赤ちゃん無事で良かったー!!だって、救急車に乗っているときに痛がる間隔が陣痛と同じだったのよ。しかも、妊婦で救急車で運ばれているのに、ダンナさんは海外出張中でって救急隊員の人に伝えたら、ちょっと皆さん引いてたのよね」

 

出産経験のある先輩にとっては、私の痛みはまるで陣痛に見えたそうで、流産してしまうのではないかと泣きながら一緒に救急車に乗ってくれたそうでした。

 

救急隊の人がびっくりしていたのも、当たり前でしょう。

 

お腹の赤ちゃんが絶命の危機かもしれないのに、ダンナは海外出張中で連絡がつかないなんて。

 

しばらくしたら、夫が電話をかけてきました。

 

「今、ハロウィンのパーティー中!こっちの同僚も会いたがってるよ〜♪」

 

まだ日本ではそれほどハロウィンが市民権を得ていない頃の10月31日でした。

 

自分が育った国での仕事でブイブイいわせ、パーティーで酔っ払っているであろう彼の「ハロウィン」という浮かれきった単語は、たった今、私に起きている「人生のなかでもわりと最悪な出来事」とのコントラストが激しすぎて、異次元空間からかかってきた電話であるかような錯覚にも陥りました。

 

「今、何してるのー?」

 

「救急車でNICUに運ばれた。今晩は入院だって」

 

「えっ??」

 

酔っ払っているのか、こんな最悪な状況を把握できないのか、しばらく黙り込む夫。

 

「で、大丈夫なの?」と、やっと発せられた夫からの問いかけに「大丈夫、先輩いるし、なんとかなると思う」と私は咄嗟に答えてしまったのです。

 

ぶっ倒れているのに「How are you?」と聞かれて「I'm fine thank you」と言ってしまう、日本人の悲しい条件反射が出てしまいました。

 

そうは言ったものの、自分の妻が妊娠中に救急搬送されるなんて、普通に考えれば尋常ではありません。

 

きっと、明日の便で日本へ帰って来てくれるだろう。

 

昨日一緒に救急車に乗ってくれて、その翌朝も病院にかけつけてくれた先輩と退院の手続きを行いながら、心のどこかではそう思っていました。

 

 

しかし、夫は帰国しませんでした。

 

 

予定通りの出張を終わらせて、2週間後に帰ってきたのです。私が「大丈夫」と言ったから、本当に大丈夫なんだと思っていたと。

 

彼が私の気持ちに鈍感で空気が読めないのは、ただ単に「帰国子女だから」ではないことに気づき始めた瞬間でした。

 

しかしこのときはまだ、彼が他人の気持ちに恐ろしいほど鈍感であることが、後のアメリカ赴任で夫婦の破綻につながるとは、思ってもいませんでした。

 

 

駐在妻がダークサイドに堕ちた話#1】に続きます。